「野晒展」

野晒展ポスター.jpeg
「野晒展」
第1部 2019年6月10日〜16日
第2部 2019年6月17日〜23日

時間:12:00〜18:00

入場料:1,000円(これは目録送付と兼ねています)

主催:Dry Bones BANDWAGON

問合先:有限会社 ダズル インターナショナル
    0364507477
    www.dry-bones.com/nozarashi
order@dry-bones.com


 展示品は、明治末期から大正、昭和初期ごろまでの「髑髏柄着物」。
こんなおどろおどろしい柄の着物が一部の文化人の間で流行した背景を、膨大な当時の着物から推測。

 太平の眠りであった鎖国状態の徳川幕府から、薩長連合を中心に起こった明治維新という革命によって日本は一気に開国、王政復古の大号令。
イギリスやフランス、アメリカなどの大国の思惑も影響し、日本も富国強兵の名の下にアジア圏へ進出していく。
1894年には日清戦争、1904年には日露戦争が勃発。
明治政府の荒い鼻息とは裏腹に、市井の日本国民は不安や恐怖に覆われていった。
 徳川幕府から明治政府になり大政奉還されたとはいえ、国民はやっとチョンマゲを落とした程度で、着るものは着物が大半。洋装も徐々に増えてはいたが、着こなせる者は一部の特権階級に限られていた。
そんな中、錦絵での収入を断たれた絵師達や洋装化で生産量の減った着物業者達は、こぞって「世の中の不安や恐怖」を生地に、反物に、襦袢に、羽裏に表現していった。
 明治から大正、そして昭和に時代が移り変わる頃、国家は大東亜共栄圏を旗印に一気にアジアへ進出、太平洋戦争・第二次世界大戦へと突き進んでいく。
大衆の不安や恐怖も一気に具体化し、それらが着るモノとなり身体を包むようになっていった。

そんな明治〜大正〜昭和初期の間にだけ、瞬間的に文化人の間で流行した「髑髏柄着物」。
戦争が無かった平成の時代に、約30年間かけてドライボーンズが収集してきた逸品を、令和の開始と共に展示。
当時の不安や恐怖を内に秘めてしたたかに生き抜いた文化人に敬意を払いつつ、同じく現政権に不安を抱えている令和の今に、観てみたい。

タイトルの「野晒(のざらし)」とは、江戸期における髑髏や頭蓋骨の別称。
主に河原などで朽ちているモノを指し、その多くは顎骨を失っていたことから別称が用いられていた。
第1部と第2部では、ほぼ全ての内容を入れ替える予定。
ドライボーンズ渾身のコレクションを、2回に分けてご堪能あれ。